「吉野林材振興協議会」の中野悟専務理事に奈良の木の良さや特長についてインタビュー
吉野材の価値を高める、
何も無駄にしない木取り
「まちがひとつの製材工場」をキーワードに、吉野貯木のまちあるきスポットのスタート地点になっているのが吉野林材振興協議会です。日本全国からの視察や取材などの対応も含め、吉野材のPR活動を一手に担っています。吉野のスギやヒノキを使った家具や日用品、樹齢60年~200年の杉などが展示されています。
中野悟さんのプロフィールはこちら >
1本の原木を製材するときに、どのようにのこぎりを入れて製品を取るのかが分かる「木取り図」。吉野材は、木の皮から芯材まで、何も無駄にせずに使い切られているかが分かります。住宅の柱材、カウンター材、床材、鴨居材、建具、そして、製材して残った外側の木は割り箸の材料に、桧の皮は社寺仏閣の屋根(桧皮葺)として利用されます。
製材所で挽かれた材がところ狭しと並ぶ吉野材センターでは、月に2回、製品市と単板フリッチ市を開催。全国各地から集まった目利きが吉野材を競り落とします。
「原木を1本5万円で買ったとします。それを5万1円にするか、5万2円の価値を出すかは木取りで決まります」と話すのは、吉野材の魅力発信に力を注ぐ中野悟専務理事。「例えば、床柱などに使われる4つ木面がすべて柾目の四方柾。少なくとも樹齢200年以上の吉野スギでないと、四方柾を取ることはできません。ですが、高級品なので四方柾を使って家を建てる人は少なくなりました」。日本の住宅事情の変化により、木取りの方法もずいぶん変わってきているそうです。
吉野林業の歴史
「顔の髭を抜くとスギになり、胸毛を抜くとヒノキになり、眉毛はクスノキ、お尻の毛を抜くとマキになる」。日本書紀には、すさのおのみことが、木の使用方法を語る文章があります。神話の時代から木の特性を生かし、スギとクスノキは船に、ヒノキは神社仏閣に、マキは人々の棺桶に使うという使用方法が決まっていたというから驚かされます。
江戸時代後期~明治時代には、吉野林業を代表する生産品が酒樽を作る板材だったことから、別名「樽丸林業」とも呼ばれていました。吉野材は、年輪が緻密であり、無節、色や香りも良いことから、灘や伊丹などで好まれ、重宝されていました。昭和になると、木目の美しい吉野材は、建築用材として広く用いられるようになります。
赤身と白太が
混ざった源平
木の芯材・中央部分は赤身、辺材・外側の白っぽい部分は白太といいます。昔は水に強く耐久性のある赤身だけが使われていました。赤身と白太が混ざった「源平」と呼ばれるものも造作、化粧材、ドア材などに人気があります。
※「源平」は、源氏が白旗、平氏が赤旗を掲げて戦ったことに由来。
節のおもしろさ
木には、特等材・一等材・二等材など等級があり、無節は節のあるものより強度もあるため、高級品とされています。「昔は節や曲がりが欠点とされてきました。今は、節あり材のほうが自然の木材らしく、面白いという評価もあります」と中野専務。節のある材を使って家を建てるとコストダウンも可能です。